● 2010年 いとうあつこさん バイツプ島体験記 |
ツバルへの旅 いとうあつこ
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(これは、2010年、わたしたち母子とともにバイツプ島で一ヶ月を暮らした友人いとうあつこさんが |
この夏、南太平洋の小さな島国・ツバルへ行ってきました。 |
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まず私たちはフィジーへ飛び、そこで暮らしているツバル人一家のもとに滞在して、ツバルの首都フナフチ行きの飛行機を一週間待ちました。フナフチではまた、離島のバイツプ行きの船を十日間待ちました。だから、目指すバイツプ島に着くまでに半月もかかったことになります。「ツバルに行くなら、ぜひ離島の暮らしを体験してほしい。そして離島に行くなら最低二ヶ月は必要!」と、なっちゃんは繰り返し言ってくれていたのですが、まさにそのアドバイス通りとなった訳です。 なっちゃんと夢さんは、今回のツバル行きが四回目。合計二年以上の時間をツバルで過ごしてきた彼らは、ツバル語が堪能です。(夢さんはツバル人との暮らしが始まってからもしばらくはツバル語を話さなかったけれど、時々私に「今あの人が何ていったかわかる? 夢さん、何となく意味わかるんやけど。」と言って通訳してくれたりしていました。そしてバイツプ島に着いてからしばらく経ったある日、ペラペラとツバル語をしゃべりだしたので、びっくり!) 日本語以外の新しい言葉を身につけていくことには、ぞくぞくするような喜びがありました。ツバルの人たちはどんどん声をかけてきてくれます。道を歩いていても、「どこ行くの?」「何しに行くの?」と聞かれるし、店に買物に行っても役所に行っても、「いつツバルに来たの?」「いつまでいるの?」など、いろいろ尋ねられます。それに対して片言で何とか答えていると、「すごいねー。ツバル語勉強するの早いね!」と言って、すごく褒めてくれるのです。おだてに乗りやすい私なので、そんな風に言ってもらうことで「よっしゃ! もっと話せるようになるぞー。」と、勉強に拍車がかかりました。 もなさんも、暮らしや子どもどうしでの遊びの中で徐々にツバル語を学んでいきました。でも、ツバル人と一緒にいるときも、すぐに私と日本語で話してばかりになるので、「ファイパチ・ファカツバル(ツバル語で話しなよ)!」とつつくことも、しばしばでしたが。 |
島のみんなと踊りを練習するあつこ氏 |
■ツバルで踊る バイツプ島について間もなく、アソ・ファフィネ(女性の日)のお祭りがありました。 私は踊るのが好きなので、伝統的な踊り(ファテレ)や今ふうの踊り(シヴァ)の練習にちゃっかり参加させてもらいました。すると、「それじゃあ、あんたはここに立って!」 |
さて、お昼の練習を終えて、いよいよ本番の夜がやってきました。五曲のファテレも三曲のシヴァも、それぞれ二、三度しか練習していないので、ほとんど覚えていません。それでも隣の人の動きを見ながら、何とか夢中で踊り終えました。 炭坑節を披露する前には、ツバル語で挨拶をしました。「バイツプの女性のみなさん、タロファ(こんばんは)!」と呼びかけると、みんなが「タロファ!!」と大きな声で返してくれます。「こんな風に手拍子してください。」と言ってみんなに手拍子を頼んで踊り始めたのですが、その手拍子がどんどん早くなっていったので、もう大変!! 歌と踊りと手拍子が合わず、どんどんずれていってしまいます。焦りつつも、めげずに踊っていると、途中で香水をかけに来てくれたり、お金(アソ・ファフィネへの募金になる)を服に入れに来てくれたりしました。あまりうまくいかなくて恥ずかしかったのですが、おかげで島のみなさんに名前を覚えてもらえたみたい。翌日からは道を歩いていても知らない子どもたちから「アツー!」と声をかけられたり、行く先々で「あんたの踊り見たよ!」と話しかけられたりと、島の一員にちょっと近づけたようで嬉しかったです。 きょうだいとして世話をやいてくれたエペネサが、一緒にゴザを作る作業をしながらいろんな歌をおしえてくれました。キエの葉を杵で叩いて柔らかくしたり、その葉を力を込めて巻いたりしながら、エペネサが「さぁ、歌うよ!」と声をかけてきます。私たちが歌うと、ロゴおばあちゃんもなっちゃんも一緒に歌いだします。 |
言葉を学んで会話できるようになっていくのも喜びだったけれど、言葉を使わないコミュニケーションってすばらしい、ということも深く感じた旅でした。踊りや歌もその一つだし、微笑み合うことだって、そう。道行く人たちは目線を交し合い、独特の眉を上げるやり方でにっこりし合います。(日本に帰ってきてまず違和感があったのは、道で行きかう人と目が合わないことでした。) 一緒に仕事をしたり、マッサージをしたり・・・そういうところにもあまり言葉は要りませんでした。豚小屋の掃除、ココナツを拾ってきて、割って、削って、絞る、キエの葉を採るところから始めるゴザ編みなどなど、「私にもやらせて!」と頼んでどんどんやらせてもらいました。からだを一緒に動かして働きながら、たくさんおしゃべりをしました。いろんな仕事のやり方を身につけていくとともに、それを表す言葉も私のからだに染みこんでいくようでした。 |
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■この身をもって体験すること たった一ヶ月弱しかバイツプ島に滞在できない私たち親子のために、なっちゃんは一緒に「バイツプの暮らし・体験プログラム」を考え、コーディネートしてくれました。おかげで私はトビウオ漁やトロール漁に連れて行ってもらったり、森にラウルーという食用になる葉を採りに行ったり、大きなゴザを編み上げたり、ツバルの伝統的な料理法を学んだりと、盛りだくさんな一ヶ月を過ごすことができました。 ツバルの子どもたちは、家族の一員としてよくお手伝いをします。朝の掃き掃除やゴミ拾いは子どもの仕事。小さい子どもの面倒も大きな子たちが見るのが当然、という感じ。 向こうでなっちゃんとたくさん話したことですが、この旅を終えた今、からだで体験することの大事さというものを切実に感じます。本やテレビなどから得る知識と、からだで体験して得るものとは、まったく違う次元のものなのでしょう。 別れ際にからだを震わせて泣いてくれたロゴおばあちゃん。がっしりと抱きしめてくれたライナおばあちゃん。お別れのキスをしたソロモナの分厚く固い頬。バイクの後ろからつかまっていたタリアのたっぷりしたお腹・・・。この身にたくさんの愛情を受けて帰ってきた私、心機一転、再び元気に働いています。 これからも子どもだけでなく「可愛い自分にも旅をさせ」。 行きたいところへほいほいと出かけていきたいと、あらためて思うのでした。 (以上) |
あなたも、本や写真やテレビで得るのとは全く違う、からだでの体験を浴びに、
ツバルの離島においでになりませんか。(ナツ) |