● 2010年 いとうあつこさん バイツプ島体験記

     ツバルへの旅   いとうあつこ

(これは、2010年、わたしたち母子とともにバイツプ島で一ヶ月を暮らした友人いとうあつこさんが
フリースクールわく星学校の「わく星通信」に寄稿した体験記です。)



  この夏、南太平洋の小さな島国・ツバルへ行ってきました。
  この旅を決心したのは、私と共に暮らす八歳の子ども・もなさんの熱心な要望に動かされてのことでした。もなさんは、わく星学校に通う一つ年上の夢さんや、その母親であるなっちゃんの語るツバルの話を聴いたり、彼らが出演したテレビ番組などを何度も繰り返し見たりして、折にふれては「もなちゃんもツバルに行きたいなー。」と言い続けていました。
  仕事を離れてしばらくどこか遠くへ行きたかった私も、「なっちゃんと夢さんも今年の夏に再びツバルに行くって言ってるし・・・。よし、そんじゃ今年一緒に行くか!」と腰を上げました。冬に思い立って半年前から職場にかけあった結果、夏に二ヶ月間の休みをもらえることになりました。もなさんは公立の小学校に通っているのですが、夏休みの前後を延長してツバルに行くことを担任の先生も肯定的に受け止めてくださり、ほっとしました。
(学校から「非常識な!」と思われるかも?というのは、結構大きいプレッシャーなんだと改めて認識しました。)


漁にでるボートに同行するあつこ氏。


  ツバルは九つの島からなる国です。人口は全体で、たったの一万人ほどしかいません。

  まず私たちはフィジーへ飛び、そこで暮らしているツバル人一家のもとに滞在して、ツバルの首都フナフチ行きの飛行機を一週間待ちました。フナフチではまた、離島のバイツプ行きの船を十日間待ちました。だから、目指すバイツプ島に着くまでに半月もかかったことになります。「ツバルに行くなら、ぜひ離島の暮らしを体験してほしい。そして離島に行くなら最低二ヶ月は必要!」と、なっちゃんは繰り返し言ってくれていたのですが、まさにそのアドバイス通りとなった訳です。


■ツバル語を学ぶ

  なっちゃんと夢さんは、今回のツバル行きが四回目。合計二年以上の時間をツバルで過ごしてきた彼らは、ツバル語が堪能です。(夢さんはツバル人との暮らしが始まってからもしばらくはツバル語を話さなかったけれど、時々私に「今あの人が何ていったかわかる? 夢さん、何となく意味わかるんやけど。」と言って通訳してくれたりしていました。そしてバイツプ島に着いてからしばらく経ったある日、ペラペラとツバル語をしゃべりだしたので、びっくり!)
  私ともなさんは事前になっちゃんの作ったテキスト『ツバル語会話入門』(キョートット出版)を読んだり、なっちゃんのツバル語講座を受けたりしていたのですが、最初に理解できたのは挨拶程度の会話だけ。ツバル人が話しかけてくれる言葉がちんぷんかんぷんで、しょっちゅうなっちゃんに通訳してもらっていました。なっちゃんのやり方にならって、私もウエストポーチに小さいノートとペンを入れ、新しい言葉を聞くたびにそれを書き取っていきました。夜寝る前にはツバル人にもらった辞典で意味を調べたり、なっちゃんに尋ねたりして、わからなかった言葉の意味を解決していきました。最初は知らない言葉だらけなので、どこからとっかかればよいか途方に暮れることもしばしばでした。それでもこのような方法を地道に続けるうちにわかる言葉が増えてきて、いろいろなやりとりがツバル語でできるようになっていきました。

  日本語以外の新しい言葉を身につけていくことには、ぞくぞくするような喜びがありました。ツバルの人たちはどんどん声をかけてきてくれます。道を歩いていても、「どこ行くの?」「何しに行くの?」と聞かれるし、店に買物に行っても役所に行っても、「いつツバルに来たの?」「いつまでいるの?」など、いろいろ尋ねられます。それに対して片言で何とか答えていると、「すごいねー。ツバル語勉強するの早いね!」と言って、すごく褒めてくれるのです。おだてに乗りやすい私なので、そんな風に言ってもらうことで「よっしゃ! もっと話せるようになるぞー。」と、勉強に拍車がかかりました。

  もなさんも、暮らしや子どもどうしでの遊びの中で徐々にツバル語を学んでいきました。でも、ツバル人と一緒にいるときも、すぐに私と日本語で話してばかりになるので、「ファイパチ・ファカツバル(ツバル語で話しなよ)!」とつつくことも、しばしばでしたが。



島のみんなと踊りを練習するあつこ氏

■ツバルで踊る

  バイツプ島について間もなく、アソ・ファフィネ(女性の日)のお祭りがありました。
女たちが集会所に三日三晩集って、ごちそうを食べたり、歌ったり踊ったりするのです。

  私は踊るのが好きなので、伝統的な踊り(ファテレ)や今ふうの踊り(シヴァ)の練習にちゃっかり参加させてもらいました。すると、「それじゃあ、あんたはここに立って!」
「あんたの衣装はエペネサに縫ってもらうといいよ」などと、とんとんと段取りがすすみ、本番でも一緒に踊らせてもらえることになりました。
それに加え、「何か日本の踊りを披露してもらえないか」との依頼もやってきました。せっかく声をかけてくれたのを断るのももったいないなと思い、炭坑節を一人で歌いながら踊ることにしました。(「月が〜、出た出た〜♪」という、あの有名な盆踊りです。) 


さて、お昼の練習を終えて、いよいよ本番の夜がやってきました。五曲のファテレも三曲のシヴァも、それぞれ二、三度しか練習していないので、ほとんど覚えていません。それでも隣の人の動きを見ながら、何とか夢中で踊り終えました。
  ファテレでは、大きな木の箱の上にゴザをかけたものを囲んで、体の大きい女たちが数人座り、両手でバンバン叩いてリズムを取ります。その周りに何重にも円になってあぐらをかいて座った女たちは、腹から大声を張り上げて歌います。その外側に草スカートなどの衣装を着けた踊り手たちが、ぐるりと半円をなすように立って踊るのです。
リズムはどんどん速くなっていきます。箱を叩く女たちの力強い腕の動きに、思わず目が釘付けになりそう。大きな声と音に包まれて踊るのは、最高の気持ちよさでした。踊り終わった後には、キーンと耳鳴りがするほどでした。

  炭坑節を披露する前には、ツバル語で挨拶をしました。「バイツプの女性のみなさん、タロファ(こんばんは)!」と呼びかけると、みんなが「タロファ!!」と大きな声で返してくれます。「こんな風に手拍子してください。」と言ってみんなに手拍子を頼んで踊り始めたのですが、その手拍子がどんどん早くなっていったので、もう大変!! 歌と踊りと手拍子が合わず、どんどんずれていってしまいます。焦りつつも、めげずに踊っていると、途中で香水をかけに来てくれたり、お金(アソ・ファフィネへの募金になる)を服に入れに来てくれたりしました。あまりうまくいかなくて恥ずかしかったのですが、おかげで島のみなさんに名前を覚えてもらえたみたい。翌日からは道を歩いていても知らない子どもたちから「アツー!」と声をかけられたり、行く先々で「あんたの踊り見たよ!」と話しかけられたりと、島の一員にちょっと近づけたようで嬉しかったです。

  きょうだいとして世話をやいてくれたエペネサが、一緒にゴザを作る作業をしながらいろんな歌をおしえてくれました。キエの葉を杵で叩いて柔らかくしたり、その葉を力を込めて巻いたりしながら、エペネサが「さぁ、歌うよ!」と声をかけてきます。私たちが歌うと、ロゴおばあちゃんもなっちゃんも一緒に歌いだします。
「アツ、踊りなよ!」とエペネサが言うから作業の手を止めて踊ったら、「バイツプの女だね、アツは〜。」とロゴおばあちゃんがニコニコしながら声をかけてくる。・・・これを書きながら、懐かしくて涙が出そうになるほどに、それはそれは幸せなひとときでした。



  言葉を学んで会話できるようになっていくのも喜びだったけれど、言葉を使わないコミュニケーションってすばらしい、ということも深く感じた旅でした。踊りや歌もその一つだし、微笑み合うことだって、そう。道行く人たちは目線を交し合い、独特の眉を上げるやり方でにっこりし合います。(日本に帰ってきてまず違和感があったのは、道で行きかう人と目が合わないことでした。)

  一緒に仕事をしたり、マッサージをしたり・・・そういうところにもあまり言葉は要りませんでした。豚小屋の掃除、ココナツを拾ってきて、割って、削って、絞る、キエの葉を採るところから始めるゴザ編みなどなど、「私にもやらせて!」と頼んでどんどんやらせてもらいました。からだを一緒に動かして働きながら、たくさんおしゃべりをしました。いろんな仕事のやり方を身につけていくとともに、それを表す言葉も私のからだに染みこんでいくようでした。


キエの木に登り、ござを編むための棘だらけの葉をとるもなみさん。



■この身をもって体験すること

  たった一ヶ月弱しかバイツプ島に滞在できない私たち親子のために、なっちゃんは一緒に「バイツプの暮らし・体験プログラム」を考え、コーディネートしてくれました。おかげで私はトビウオ漁やトロール漁に連れて行ってもらったり、森にラウルーという食用になる葉を採りに行ったり、大きなゴザを編み上げたり、ツバルの伝統的な料理法を学んだりと、盛りだくさんな一ヶ月を過ごすことができました。
 もなさんもロゴおばあちゃんに教えてもらいながら、小さなゴザを編み上げました。一週間だけですが、学校にも通いました。一緒に住んでいた、リセという同い年の女の子と同じクラスに通ったのですが、リセは帰ってくるたびに「クラ(もなさんのツバルでの名前)は絵を描いて、Excellent(たいへんよくできました)をたくさんもらってたよ。」「今日、クラに新しい友だちができたよ。マーメレっていう名前でね・・・」など、私に報告してくれるのでした。

  ツバルの子どもたちは、家族の一員としてよくお手伝いをします。朝の掃き掃除やゴミ拾いは子どもの仕事。小さい子どもの面倒も大きな子たちが見るのが当然、という感じ。
 もなさんは日本に帰ってからも、毎朝玄関前の掃き掃除などのお手伝いを続けてくれています。小さな子がうちに来たら遊んであげたりと、「もなさん、ツバルに行く前と比べて、ずいぶんしっかりしたなぁ!」というのが私の印象です。おかげで、私はだいぶ楽になりました。
「可愛い子には旅をさせ」なんて諺を思い出すこの頃です。

  向こうでなっちゃんとたくさん話したことですが、この旅を終えた今、からだで体験することの大事さというものを切実に感じます。本やテレビなどから得る知識と、からだで体験して得るものとは、まったく違う次元のものなのでしょう。

  別れ際にからだを震わせて泣いてくれたロゴおばあちゃん。がっしりと抱きしめてくれたライナおばあちゃん。お別れのキスをしたソロモナの分厚く固い頬。バイクの後ろからつかまっていたタリアのたっぷりしたお腹・・・。この身にたくさんの愛情を受けて帰ってきた私、心機一転、再び元気に働いています。
  朝、学校へ行くもなさんに「マヌイア・テ・アコンガ(学校楽しんで)!」って声をかけると、「イヨッ!」とツバルの子みたいに返事して、元気に出かけて行くのが頼もしい。

  これからも子どもだけでなく「可愛い自分にも旅をさせ」。 行きたいところへほいほいと出かけていきたいと、あらためて思うのでした。

(以上)




あなたも、本や写真やテレビで得るのとは全く違う、からだでの体験を浴びに、
ツバルの離島においでになりませんか。(ナツ)